2009年06月28日

神からのメッセージ〜グレゴリオ聖歌(2009年6月21日放送)

パウロの祝日―パウロの言葉

ローマ典礼では六月の最後に、
イエス・キリストから鍵をいただいて教会を引き継いだペトロと、
そして教会を受け継いで宣教に力を注いだパウロの記念を祝っております。

そのパウロの手紙の中から、私たちにとっても大事な、
力づけられるテキストのグレゴリオ聖歌を聴いてみたいと思います。続きを読む
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神からのメッセージ-グレゴリオ聖歌-(2009年6月21日放送)

「主よ、私はここにいます」

 ローマ典礼では六月の最後に、イエス・キリストから鍵をいただいて教会を引き継いだペトロと、そして教会を受け継いで宣教に力を注いだパウロの記念を祝っております。そのパウロの手紙の中から、私たちにとっても大事な、力づけられるテキストのグレゴリオ聖歌を聴いてみたいと思います。続きを読む

2009年06月27日

コーヒーブレイク・インタビュー(2009年6月20日放送)

奈良栄一郎様
 キリスト教書店「ハンナ」取締役社長
インタビュアー・吉崎恵子


会社が倒産して

勤めていた東京聖文社が去年の八月につぶれて。
ただ、キリスト教書をお客様に届けなくちゃいけない、何とか新規に出来ないかなと。

―その時ご家庭は?お子さんは何人いらして?


子どもが三人います。
この不況下で、しかも今までの所は清算するので場所も車も無いし、
「やっぱり難しい」と断念しようと思った時に、
新教出版社の社長さんから「倉庫になっている二階を空けるから、やったら?」と。続きを読む
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2009年06月25日

望みなきときにも(2009年6月18日放送)

「なにが見えるか」(マルコ8:22〜26)

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。…イエスは…女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
(ルカによる福音書7章36〜50節)


これは大変不思議な言葉です。
「あなたの信仰があなたを救う」。
果たして私たちは心の底からそのように理解し、
「本当に私の信仰が私を救い、私を立ち上がらせてくれた」と考えているでしょうか。

どうも私たちはいつも「自分の信仰は弱い、貧しい、ちっぽけだ」と泣き言を並べます。
そのため「あなたの信仰があなたを救う」という呼びかけに
「アーメン!本当にその通りです」と力強く声を合わせる事が出来ない。
そういう現実が私たちを支配してはおりませんか。
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福音を生きるー信仰生活への招きー(2009年6月18日再放送)

第11回 人との比較からの解放(2)

 イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」…このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。(ヨハネ福音書二一章十五〜十九節)

 イエスが逮捕されたとき、ペトロはイエスを三度も知らないと言ってしまった。
すごく大きな心の重荷というんでしょうか、罪の意識を持っている。
そういうペトロとイエスのやり取りですが、実はイエスが「愛しているか」と聞いている「愛する」と、ペトロの答えの「愛する」は、原文のギリシャ語では違う言葉が使われているんです。続きを読む
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2009年06月23日

イエスの生涯を黙想する(2009年6月16日放送)

神の愛を例え話で

ルカによる福音書15:11〜32

11    また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12    弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13    何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
14    何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15    それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16    彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17    そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18    ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19    もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
20    そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21    息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22    しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
23    それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24    この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25    ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
26    そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
27    僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
28    兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
29    しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
30    ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
31    すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
32    だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

「お父さん、早く死んでください」


生きている間に財産をもらうというのは、「お父さん、早く死んでください」というメッセージなわけで、非常に無礼なことですね。でもこの弟は、「豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかった」という最低の状態になって、父のもとに帰る決心をします。続きを読む
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2009年06月18日

福音を生きるー信仰生活への招きー(2009年6月11日再放送)

第10回 人との比較からの解放(1)

 イエスが生きていたユダヤの社会は、律法という基準で人が計られ、ある人は正しい人、ある人は罪人というようなレッテルが張られていました。イエスはそのことに疑問を投げかけます。
自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。

 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」(ルカ十八章九〜十四節)続きを読む
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2009年06月16日

御足の跡を(2009年6月9日放送)

あなたがたは世の光 マタイ5:13〜16

1962年のイースターに、松山教会で山下萬里牧師から私は洗礼を受けました。
一年、二年、三年と経っていくうちに、だんだんと
イエス様が言われた「塩の味を失った塩」になっていくのを覚えました。

礼拝を守る事が信仰だと思うようになっていました。
山下萬里牧師の説教を聴いて感動し、喜んでいました。
教会に行って礼拝を守り説教を聴く。讃美歌を歌う。
それはみな自分のためになることでした。
私はいつしか、山下萬里牧師の説教を聴いて喜ぶだけの者となっていたのです。続きを読む
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2009年06月12日

神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?(2009年6月1日再放送)

第9回「『死にたい』と思ってしまう」

問 私はイエス様を信じています。
でも、些細な事で自殺を考えてしまう危ういこころを持っています。
実際に自殺未遂をしたことは何度もあります。
昨日も些細な事がきっかけで「死にたい」と思ってしまいました。
生きる意味が分からなくなり、死にたいと願ってしまうのです。
こんな私でもイエス様は見捨てずにいてくれるでしょうか?

百瀬 とても深刻なご質問ですね。
この方は、きっといろいろと辛い事がおありなんだと推測します。
この殺伐とした非人間的とも言える過酷な競争や業績主義の中で、
優しくて繊細な感性を持った人こそ辛くなってしまうかもしれません。続きを読む

2009年06月05日

キリスト教とは何か(2009年5月1日放送)

何をどう信じるか

「キリスト教とは何か」と言ったとき、
「キリスト教とは信じることだ」と言っていいかもしれません。
では、キリスト者は何を信じているのでしょうか。続きを読む
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