2008年06月30日

神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?(2008年6月30日)

第十三回 「聖書の読み方って?」

質問
クリスチャンって進化論を認めないって本当ですか?
聖書に書いてあるとおり地球は六日間で出来たとか、本気でそんなことを考えている人が今どきいるなんて信じられません。
なんだか、そういう人たちの考え方は狂信じみていて怖く思います。聖書には、科学的にはめちゃくちゃなことがいっぱい書いてあるのに、そんな本を一生懸命読んでいる人たちがいると思うと、不思議でたまりません。


百瀬
 私自身は進化論を当然のことと思っています。でも、自分のキリスト者としての信仰とは全く矛盾しないんですね。
 今日では、たくさんのクリスチャンの科学者が進化論を支持していますし、他方では、聖書学の発展に伴って、聖書の読み方そのものも今ではもっと解明されていると思います。


例えば創世記は、古代の民族が自分たちの伝承を言い伝えて、それを通して非常に深い信仰を語っているんですね。自分たちの人生に対する教訓としてそういう言い伝えを語っている。そういう風に聖書を読みますと、一つも矛盾しないんですね。

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2008年06月13日

田辺 保、パスカルを語る(6月13日放送)

第3回 「パスカルと病気」


田辺 パスカルはずっと様々な病に苦しんでいたのですが、「病気というのは、キリスト者の本来のあり方だ」という事を彼は書いています。


それはきっとこういう意味でしょう。

病気によって、私たちは本当の病気が何であるかを知る事が出来る。

健康に恵まれて幸せに暮らしている人はこれが分からないけれども、病気というのは一つのお恵みなんだと。

これによって私たちはもっと大きい病気、つまり魂が病んでいるということを教えられるんだということです。

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2008年06月12日

コーヒーブレイク・インタビュ(2008年6月14日、21日放送)

塩谷達也さん(ゴスペルシンガー) インタビュアー・吉崎恵子

●これは何かあるな●

僕は中学生のときからバンドをやってて、
ICU(国際基督教大学)に入ってからはずっとブラックミュージックをやってたんですね。

そのサークルに一人の学生が入ってきまして、
彼は牧師の息子で、「この曲やろうよ」って持ってきたのが、
黒人霊歌って言われている、名もない黒人奴隷たちが作った賛美だったんですよ。

それをやったときに、背景もわかんなかったし、内容も理解していなかったけれども、
ビーッ!っと、なんかもう稲妻みたいのが自分の中に来たのがわかったんですよ。
賛美ってすごく力があるじゃないですか。
聖書も読んだことがない、教会に行ったこともないっていう人でも、
賛美に触れられて、そこに主が働いてるっていうことをわかったりするんですよね。
僕はそんなことは何も知らなかったですけど、
でも、これは何かあるなと思いました。

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2008年06月09日

神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?(6月9日放送)

第10回 「死んだらおしまい?」

質問 人は生まれて死んで、それでおしまいだとある人が言っていました。もし本当にそうだとしたら、一生懸命生きても結局何にもならない気がして、とても虚しくなったことを覚えています。
私は特定の宗教を信じたことはありませんが、本当に人は生まれて死んで、それっきりなんでしょうか。


百瀬 この方のおっしゃる通り、もし人が生まれて死んで、それでおしまいだとしたら、本当に虚しいですね。
唯物主義の考え方だと、生きているのが全てだから、この世で成功しなくちゃいけない、獲得しなくちゃいけない、だから他の人を踏みにじってもいいんだということになって、弱肉強食の冷たい世界が生まれてくるでしょう。

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魂のゆくえ 今、みことばに聴いて(6月10日放送)

第10回 「たった一つの答えー『神の見捨て』としての死」


石居
私もいろいろな形でご相談を受ける事がありますが、一番どうにも答えようが無いというのは「神様の事が分からない」という場合です。
つまり、神様が憐れみと愛を持っていてくださるというのは聖書から知っているんだけれど、自分の状況の中では分からないということです。


本当に「神様が分からない」という問いの中にある方は、教会にさえ行く事が出来なくなってしまうんです。
つまり、「そんな自分は教会にふさわしくない」と思ってらっしゃるんですね。そしてそういう問いはなかなかは答えがすぐには見えないんです。

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2008年06月06日

全地よ主をほめたたえよ(2008年6月8日放送)

「主の憐れみを求めて」

日本基督教団 鎌倉雪ノ下教会
東野尚志牧師

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(マルコ十章四六〜五二節)


主イエスは今、エリコの町を出て、いよいよエルサレムへと上っていかれようとするのです。十字架に上げられるその場所へ。

その道ばたに、一人の男が座っていました。バルティマイという名前の目の不自由な物乞いです。

おそらく主イエスのことは行く先々で話題になっていたに違いない。病人を癒し、徴税人や罪人と食事を共にし、世間から虐げられている者たちを深い憐れみをもって顧みて下さる方。不思議な奇蹟の業を行われる預言者。そのナザレのイエスが今、道を通って行こうとされる。

それを聞いた途端にバルティマイは「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、なりふり構わず、大声で叫んだのです。この救いを求める必死の叫びが、主イエスの足を止めたのです。主イエスは立ち止まって「あの男を呼んで来なさい」と言われた。

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2008年06月03日

神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?(2008年5月12日放送)

第6回 「親を愛せない」


<質問>わたしは現在病気がちで、ずっと家にいる生活です。最近は両親としか過ごしていません。
その両親を愛せないでいます。家にいていつも顔を合わせる相手なのに、愛せません。いらいらして、すぐに当たってしまって、そういう自分が情けなくて辛いです。
こんな私を、神様はどう思ってらっしゃるのかと思います。



百瀬 ご両親に対してイライラして乱暴な言葉遣いをしてしまうというのは、こういう状況の方でしたら、当たり前というか、誰でもそうなってしまうのではないでしょうか。
そしてそういう自分に自責の念を持ってしまうというのはよく分かります。


そのような状態では無理も無いんです。
だからまず、「愛を持たなくてはいけない」とか考えるのではなくて、自分が健康になること、健全になることが先ではないかと思います。


特に心の病を患っておられるとしたら、早く治ろうなんてあせってはいけませんね。良くなるためには、健全な人との交わりが必要ですし、健全な気晴らしも必要です。続きを読む

2008年06月02日

主の祈り−イエスと歩む旅−(2008年6月5日放送)

第9回「神の〈み名〉を小さくしない(1)」

〈主の祈り〉
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来らせたま
御心の天になるごとく地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン


「主よ、私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ福音書十一章一節)
弟子たちがイエスにお願いし、主イエスはそれに答えて「祈るときには、こう言いなさい」(二節)と主の祈りを教えてくださいました。

不思議に思いませんか。イエス様がお教えくださった主の祈りは、まず最初に神様のための祈りから始まるのです。
「あなたの御名をあがめさせたまえ。あなたの御国を来らせたまえ。あなたの御心をなさせたまえ。」
祈りとは、自分の必要を言葉にして神様に聞いていただくことではないのでしょうか。
主イエスは、まず自分のためではなく、神のために祈れと教えてくださっているのです。いったいこれはどういうことなのでしょう。

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