2008年12月22日

幸いを告げるうた−詩篇−(2007年7月27日)

第19篇 自ら語りたもう神

主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。(詩篇19篇7、8節)


御言葉との付き合い

神様は、目に見える姿で来たり、聞こえる声で語ったりするのではなくて、御言葉を通じて私たちの死せる魂を生かしてくださるのです。
「私なんかもうダメだ」と思うことがどんなに多くあるか。けれども御言葉が私の心のうちによみがえってまいりますときに、私の魂を生かしてくださるのです。
「どうしたらいいだろうか?」誰に聞いてもわからないようなことでありましても、御言葉が告げてくださるのです。

ですから御言葉というのは、覚えたり、意味がわかったり…ということではなくて、御言葉との付き合いなんです。
私たちが祈りをもって御言葉に接していきますときに、神様が私たちに語ってくださる。
私たちはこの苦労の多い人生で、御言葉を味わうことによって、そこから与えられる生きかえり、喜び、眼を明らかにされるという経験を豊かにされたいと思うんですね。

御言葉によって自分の姿を知る

私たちは傲慢にも、よく言うんです。
「私が私のことを一番よく知っている。」
けれども本当に素晴らしいことは、御言葉が開かれてまいりますと、神様を知ることができる。そして神様を知ると、自分の姿がわかってくるんです。

二十世紀の神学者カール・バルトはこう言いました。
「自分の姿がわからない人には、神様がわからない。神様を知らないということさえ知らない。でも、神様の前に謙虚に出るときに、神様は神様ご自身を啓示し、イエス・キリストによって神を私たちにわからせてくださると同時に、私が何者であるかということをわからせてくださる。」

この詩篇の詩人も、御言葉によって自分の姿を知りますと、なんと自分には過ちが多いことかと知るのです。
「だれが自分のあやまちを知ることができましょうか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。」(12〜13節)これが人間の実存だと思うんです。

彼は私のあがないぬしであるから

「わが岩、わがあがないぬしなる主よ」(14節)。
神様の言葉によって恵みがわかるけれども、自分の罪深さもわかってくる。
じゃあこの自分の罪はどうなるんだ?そんなものを持っている私なんか、神様と交われないじゃないか、と私たちは思うんです。

けれども、罪人であるにもかかわらず、その罪人が、神の言葉によって神を知ることができ、神様の御業によって神をたたえることができる。
どうしてだ?我が主は、天地を造り給うた創造者であるというだけではない。
彼は私のあがないぬしであるからです。

「あがなってくださる」というのは「身代わりになってくださる」ということです。
旧約聖書の時代、動物を殺して、私の代わりにこの動物に死んでもらったから神様赦してくださいと言うと、罪が赦されたんですね。
ところがダビデという人は、自分の持っている羊や牛をたくさん自分の罪の身代わりにささげることができたと思うんですが、そんなことでは心の奥底にまで赦されたという確信が持てなかったときに、神様の前に砕かれて、「私は罪人です」とひれ伏してしまった。
そのときに何がわかったかというと、このお方は私の罪の身代わりになってくださる方だということです。

そして、やがて世界に救い主がおいでになる。
その救い主は世界人類の罪を全部自分に引き受けて、神様の刑罰を身代わって受けてくださって、私たちを罪から解放してくださるあがないぬしです。
あの十字架において、私の罪を一切背負って、命を捨ててくださった、あの存在があがないぬしです。

私たちの目は、罪や欲や汚れで見えなくなりやすいんです。
だが、あがないぬしが、私と神様とを切り離してしまったその罪を背負って、「罪の払う値は死である」(ローマ6章23節)というところに自らが立ってくださって、私たちの一切の罪が赦されるという道を開いてくださった。
ここに啓示の頂点があります。
この神は、世界のあがないを全うしてくださった。
今や私たちは、私たちの口の言葉と心の思いが、神様に受け入れられることのできる存在とされているんだということを、新しく感謝しようじゃありませんか。

失敗がある、すねに傷がある、けれども、あがないぬしの救いは、そんな私たちの欠点や弱点を乗り越えて、じゅうぶんカバーすることのできる恵みです。
彼は、私のあがないぬしになってくださったお方です。
今日もこの方が語りかけてくださいます。
この神の恵みの中に生かされている者であることを感謝しながら、主を崇めていく存在でありたいと思います。

番組「幸いを告げるうた−詩篇−」2007年7月27日放送分より
posted by FEBC Staff at 00:00 | TrackBack(0) | 幸いを告げるうた―詩篇― | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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