2008年04月21日

神父さま、こんなこと聞いてもいいですか?(2008年4月21日放送)

第3回 神に依存したくない

質問 神様は居ると思いますよ。そういう尊いものを大切にする生き方も素晴らしいとは思います。でも私は私の生き方がありますから。やっぱり神様でも何でも、どっぷり依存するんじゃなく、「ほどほど」の距離を保つのがいいんじゃないでしょうか。カルト宗教が流行っているのを見聞きすると余計にそう思います。


百瀬神父
これは多分、日本人に典型的なご質問ではないでしょうか。漠然と神様を信じるっていうのは、分かる。しかし、一つの宗教に関わりたくない。「うっかり関わったら大変なことになる」と思ってしまう。だから、「ほどほど」に付き合っていけばいいのじゃないかと。

 まず最初に私は、「あなたは本当に人間の生きる意味というのを知っていますか、本当に自分の情熱を注いで追い求めたいという価値のある素晴らしいものを見いだしていますか」と質問したいんです。
 神様は一人ひとりの人をお造りになって、ご自分に向かう憧れのようなものを植え付けていらっしゃるんです。
アウグスティヌスは『告白録』の中でこう言っています。「神よ、あなたは私たちをあなたに向けてお造りになった。だから、わたしの心はあなたにおいて安らぐまでは、安らぐことを知らない。」神様に向けて造られた人間は、やはり神様に向かって生きない限り、本当の生き甲斐を知らないんです。


もちろん、私たちは自分の生き甲斐をいろいろと設定できるし、それに向かって励むことも出来ます。それが自分のためにもなるし、他人のためにも役立つと考えられるでしょう。
でも、私たちの生きている目的は、そういうことなんでしょうか。確かにそういうことは価値のあることだけれども、それ自体を絶対化して人生の目標とした時に、それが私たちを満たしてくれるでしょうか。私は、必ずそういうものは破綻すると思います。
この世の全てのもの、富や地位も、私たちの健康や能力も、過ぎ去って行くんです。現在、毎年三万人を超える自殺者がいるということは、そういう生き甲斐を失っている状況を物語っているのではないでしょうか。


 ですから、余計なお世話だ、ほっといてくださいと言われるかもしれないけれど、私はあえて申し上げたい。「あなたは本当に自分の人生の大切なものを見いだしていますか」と。
神に向かって生きるということは、決して、特定の宗教心の深い人とかに限られません。特定の人たちの趣味とか、特別な生き方というのではなくて、およそ人間が生きる限り、人間の本質に関わることだと思います。それをするかしないかが、その人間の質を決定してしまうと思います。あるいはその人間の本当の幸せを左右するような、人間であることそのものを決定してしまうような事柄だと思います。
人間にとって一番大切なこと、人間を本当に人間として成長させること、それをなおざりにすることは、人間であることをなおざりにすることだと私は思います。それは何かと言うと、神に向かって生きることです。これが人間にとって一番大切なことだと申し上げたいのです。


 次に私が申し上げたいのは、「それでは、人間は自分で自分を救うことが出来るか、自分で神様に向かって生きる事が出来るか」ということです。
 この質問を下さった方は、若くて健康で能力があって、社会的にも成功してらっしゃる方なんでしょう。
 けれども同時に私は、自分の弱さも知っているし、沢山の苦しんでらっしゃる方も存じ上げています。人間は本当に弱いものです。
どれほど多くの方が病に倒れ、人に裏切られて傷つき、失望して生きる目標を失っているか。これも現実なんですね。そして愛に飢え、「愛したい」と思いながらも独りぼっちでいることか。
そしてもっと根本的には、人はいつか死を迎えます。死を前にした時、どれほど多くの人が恐れ、運命を呪い、別れを悲しんでいることか。そのことを思うと、「自分には自分の生き方があります」と強い意志を持ってやっていける人、自分の人生の意味を自分で獲得できる人なんて、果たしてどれくらいいるんでしょうか。
そして、この社会には、一人ひとりがどれだけの善意をもってしてもどうしようもないような悪の力というものがあります。一生懸命努力したり、善意を持ってしても、その人を貶めたり不幸にしてしまう闇の力が働いています。


 私たちキリスト者は、神様が私たちを導いてくださるということ、そして神様がそういう闇の中に光を与えて、試練に耐える力を与えてくださる方だと信じています。言い換えると、神様ご自身が一番私たちのことを心配しておられて、一緒に私たちの重荷を背負っていてくださっている方だということです。


 「私には私の生き方があります」って言うと、私は「それはいいけど…本当に人生のことを分かってるかな」って思ってしまうんですよ。
やっぱり、神様が私たちの歩みを心配していらして、何とか導こうとしておられるから、その神様に目覚めること。その神様の導きに従っていくこと。これが大切なんじゃないでしょうか。


 カルトのことをご質問下さいましたが、神様が一人ひとりの心にご自分に対する憧れを植え付けて下さっているからこそ、どの人間も宗教的なものへの憧れを持っていると思うんですね。
だからこそカルトには気をつけなくてはいけないんですが、もし信仰が本物だったら、それが生きる喜びを本当に与えるし、それを信じることを通して、ますます人間が自由になっていくと思うんですね。
人に心が開いて、分かち合うことが出来て、思いやることが出来て、勇気をもって困難に耐えることが出来る。これがその信仰が本物であるかどうかの一つの徴になると思います。(文責:月刊誌編集部)
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