イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
(マルコ福音書12章41〜44節)
●自分の貧しさを恥じながら生きる●
当時のイスラエルの民にとって富を持つということは、神様の恵みの一つのしるしでありました。豊かさとか貧しさが、単にその人の財力ということにとどまらずに、神様の恵みと結びつけてとらえられていたのです。
やもめは、人の世話にならなければ生活できないような立場でありました。そういう時代ですから、貧しいということに引け目を感じるような気持ちになったと思います。自分は金持ちのように神様にいっぱいささげることができないということが、負い目になったかもしれません。
私たちの多くは、このやもめほどに経済的に困窮した生活をしているわけではないかもしれません。しかし、自身の貧しさということを、いろいろな意味で痛感しながら生きているように思います。
私自身も本当にそうです。自分が人間として貧しいな、自分の資質とか性格がなんて貧しいのか、そういうことを感じながら生きてきました。
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