2008年05月26日

主よ、あなたが歩かれる道ならば―マルコによる福音書―(2008年5月28日放送)

第61回「乏しさに負けない」

イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
(マルコ福音書12章41〜44節)



●自分の貧しさを恥じながら生きる●


当時のイスラエルの民にとって富を持つということは、神様の恵みの一つのしるしでありました。豊かさとか貧しさが、単にその人の財力ということにとどまらずに、神様の恵みと結びつけてとらえられていたのです。

やもめは、人の世話にならなければ生活できないような立場でありました。そういう時代ですから、貧しいということに引け目を感じるような気持ちになったと思います。自分は金持ちのように神様にいっぱいささげることができないということが、負い目になったかもしれません。

私たちの多くは、このやもめほどに経済的に困窮した生活をしているわけではないかもしれません。しかし、自身の貧しさということを、いろいろな意味で痛感しながら生きているように思います。

私自身も本当にそうです。自分が人間として貧しいな、自分の資質とか性格がなんて貧しいのか、そういうことを感じながら生きてきました。
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2008年05月19日

主よ、あなたが歩かれる道ならば―マルコによる福音書(2008年5月21日放送)

第60回 このような者たちなのに

イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」(マルコ福音書12章38〜40節)

自分が尊敬され、注目され、大事にされることを期待し求める、あるいは、そうされると嬉しいという気持ちを持つことは、人間ならばあり得ることかもしれません。

律法学者たちが自分からそういう評価を求めたのか、勝手に人が評価するのだけれども誉められて悪い気はしない、そういうことだったのかはわかりません。しかしイエス様はそのことをとても厳しく見咎めていらっしゃいます。「このような者たちは人一倍厳しい裁きを受ける。」そうおっしゃったのです。

律法学者は、ただ見せかけだけで生きていたというよりは、誰よりも律法に従う努力をしたのであります。しかしイエス様はその律法学者を咎められたのですね。イエス様は何をそれほど厳しくご指摘なさったんでしょうか。
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2008年04月21日

主よ、あなたが歩かれる道ならば−マルコによる福音書−(2008年4月21日放送)

第56回 絶えず、新たな日々を生きる

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。(マルコ福音書12章27節)

私たちは必ずいつか死にます。けれども、それをまだ経験してはいません。
しかし、心臓が動きを止めるという体の死ではありませんけれども、ある意味、私たちは何度も、死を味わうということを経験してきたのではないでしょうか。
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