岩渕まこと氏(ゴスペルシンガー)
インタビュアー・吉崎恵子
歌を歌う気持ちもなくなってしまい…
―コロンビア(レコード)で声を掛けられて、そこからプロとしての活動が始まって…
二枚目のアルバムを出して、三枚目を作ってる時に、
もう全然曲が出来なくなっちゃったんですよ。
歌を歌う気持ちもなくなって。
―それは危機ですね。
それでレコーディングを途中で止めて、
しばらく休ませてもらうってことになったんです。
―休んでどうしたんですか?
家の近所に小坂忠さんていうシンガーソングライターの先輩がいて、
忠さんがある時「僕はクリスチャンなんだよ」って言ったんですよ。
それから時々、聖書持って家を訪ねてきて、
色々話してくれるんですけど何もわからなかったですね(笑)。続きを読む
2009年12月01日
2009年10月24日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年10月17日放送)
清水清美氏(「上中居こどもクリニック」医師)
インタビュアー・吉崎恵子
三十年前から父が産婦人科の医院を地域で開いていたんですけれども、
そこが古くなった事、父が引退を考える時期、
そして私が結婚して子育てをしながら(病院の勤務医として)
小児科医を続けることに困難を覚えたのが重なったんですね。
それで父の医院の一部屋をもらって小児科を始めたのが十年前なんです。
妹は産婦人科で、私は小児科なんですが、
ちょうど同じ時期に妹も子どもが生まれて、
妹も私と一緒にクリニックをやっていきたいということになりまして。続きを読む
インタビュアー・吉崎恵子
三十年前から父が産婦人科の医院を地域で開いていたんですけれども、
そこが古くなった事、父が引退を考える時期、
そして私が結婚して子育てをしながら(病院の勤務医として)
小児科医を続けることに困難を覚えたのが重なったんですね。
それで父の医院の一部屋をもらって小児科を始めたのが十年前なんです。
妹は産婦人科で、私は小児科なんですが、
ちょうど同じ時期に妹も子どもが生まれて、
妹も私と一緒にクリニックをやっていきたいということになりまして。続きを読む
2009年09月26日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年9月19日放送)
松永敦子氏(在宅療養支援診療所「いきいきクリニック」勤務)
インタビュアー・吉崎恵子
12年間、タイで宣教師をしておりましたが、
日本に帰ってきた途端ウツに突入しまして。
もう何も自分の中にはなくなっちゃったというんですかね。
燃え尽きたっていうことだと思います。
続きを読む
インタビュアー・吉崎恵子
12年間、タイで宣教師をしておりましたが、
日本に帰ってきた途端ウツに突入しまして。
もう何も自分の中にはなくなっちゃったというんですかね。
燃え尽きたっていうことだと思います。
続きを読む
2009年09月22日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年9月12日放送)
武知由佳子さん(在宅療養支援診療所「いきいきクリニック」院長)
インタビュアー・吉崎恵子
―二四時間体制でお一人のお医者さんで、何人くらいの患者さんを?
70人くらいの患者さんで、
呼吸器病棟で一緒に働いていた、信仰生活も共にしていた姉妹たちと
一緒に住んでやっているんです。
―仕事一緒、教会一緒、生活一緒?すごいな〜。
そうですね。命の前に遣わされた時に、
お互いの情熱とか愛をもってその患者様の命に向かおうとするからこそ
出てくるような違いなんかに、ちょっと不和を感じることもあったんですけど、
でもそれはもともとの信頼関係があるからこそ生じるお互いの違いで、
またそれが成長につながるっていうか。
違いを知ってさらにチームが洗練されていくような気がしますね。続きを読む
インタビュアー・吉崎恵子
―二四時間体制でお一人のお医者さんで、何人くらいの患者さんを?
70人くらいの患者さんで、
呼吸器病棟で一緒に働いていた、信仰生活も共にしていた姉妹たちと
一緒に住んでやっているんです。
―仕事一緒、教会一緒、生活一緒?すごいな〜。
そうですね。命の前に遣わされた時に、
お互いの情熱とか愛をもってその患者様の命に向かおうとするからこそ
出てくるような違いなんかに、ちょっと不和を感じることもあったんですけど、
でもそれはもともとの信頼関係があるからこそ生じるお互いの違いで、
またそれが成長につながるっていうか。
違いを知ってさらにチームが洗練されていくような気がしますね。続きを読む
2009年08月15日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年8月1、8日放送)
丸山康子様(主婦)
インタビュアー・吉崎恵子
自分の信仰が全部崩れてしまったような…
高校時代にクリスチャンスクールに入学したことによりキリスト教を知り、
卒業してからなぜか教会に行きたくなって。
その教会で主人と出会って結婚しました。
子どもは二人、今はもう成人しましたので、
一人で…優雅にと言うよりは、ちょっと寂しく、ちょっと楽しく(笑)。
―ちょっと楽しくと言えるようになったんですね。ご主人様は…
2001年の12月3日に召されました。60歳でした。
本当に恵まれた生活をしておりましただけに、
「なぜ神様、こういうことが私の身に起こるんですか?」
っていう祈りばっかりだったですね。
続きを読む
インタビュアー・吉崎恵子
自分の信仰が全部崩れてしまったような…
高校時代にクリスチャンスクールに入学したことによりキリスト教を知り、
卒業してからなぜか教会に行きたくなって。
その教会で主人と出会って結婚しました。
子どもは二人、今はもう成人しましたので、
一人で…優雅にと言うよりは、ちょっと寂しく、ちょっと楽しく(笑)。
―ちょっと楽しくと言えるようになったんですね。ご主人様は…
2001年の12月3日に召されました。60歳でした。
本当に恵まれた生活をしておりましただけに、
「なぜ神様、こういうことが私の身に起こるんですか?」
っていう祈りばっかりだったですね。
続きを読む
2009年06月27日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年6月20日放送)
奈良栄一郎様
キリスト教書店「ハンナ」取締役社長
会社が倒産して
勤めていた東京聖文社が去年の八月につぶれて。
ただ、キリスト教書をお客様に届けなくちゃいけない、何とか新規に出来ないかなと。
―その時ご家庭は?お子さんは何人いらして?
子どもが三人います。
この不況下で、しかも今までの所は清算するので場所も車も無いし、
「やっぱり難しい」と断念しようと思った時に、
新教出版社の社長さんから「倉庫になっている二階を空けるから、やったら?」と。続きを読む
キリスト教書店「ハンナ」取締役社長
インタビュアー・吉崎恵子
会社が倒産して
勤めていた東京聖文社が去年の八月につぶれて。
ただ、キリスト教書をお客様に届けなくちゃいけない、何とか新規に出来ないかなと。
―その時ご家庭は?お子さんは何人いらして?
子どもが三人います。
この不況下で、しかも今までの所は清算するので場所も車も無いし、
「やっぱり難しい」と断念しようと思った時に、
新教出版社の社長さんから「倉庫になっている二階を空けるから、やったら?」と。続きを読む
2009年05月23日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年5月9日、16日放送)
三崎玲子さん(主婦)
中学受験でミッションスクールに入って、聖書に出会ったのはそこが初めてですね。
今までキリスト教を全く知らなかったので、入学式の時に「礼拝を始めます」と言われて、その時からカルチャーショックだったんです。
礼拝堂の雰囲気にも圧倒されて、それがすごく魅力だったんです。
教会が逃げ場だった
―じゃあ教会にも行き始めたんですか?
そこの学校は教会に行くことが決まりなんです。名簿の住所に合わせて学校が教会を紹介してくれるんです。日曜日に教会へ行くようになって、心の平安が与えられたのは本当だったんです。当時、よく両親が喧嘩をしてたんですね。ずっと小さい頃から見てきて、言い方を換えれば、逃げ場所を見つけたと言うか…。日曜日に私が教会へ行くのは、少しでも家から離れるためだったんです。続きを読む
中学受験でミッションスクールに入って、聖書に出会ったのはそこが初めてですね。
今までキリスト教を全く知らなかったので、入学式の時に「礼拝を始めます」と言われて、その時からカルチャーショックだったんです。
礼拝堂の雰囲気にも圧倒されて、それがすごく魅力だったんです。
教会が逃げ場だった
―じゃあ教会にも行き始めたんですか?
そこの学校は教会に行くことが決まりなんです。名簿の住所に合わせて学校が教会を紹介してくれるんです。日曜日に教会へ行くようになって、心の平安が与えられたのは本当だったんです。当時、よく両親が喧嘩をしてたんですね。ずっと小さい頃から見てきて、言い方を換えれば、逃げ場所を見つけたと言うか…。日曜日に私が教会へ行くのは、少しでも家から離れるためだったんです。続きを読む
2009年04月11日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年4月4日放送)
佐々木 炎氏
(日本聖契キリスト教団中原キリスト教会牧師、「ホッとスペース中原」代表)
高校のとき、成績が悪くて、目立つことをしないと認められないと思って、
不良になってしまいまして。学校で暴力事件を起こしてしまったんですよ。
そのときにたまたま、クリスチャンであったけれど教会を離れていた父が
もう一回教会へ行くようになり、私を導いてくれたんです。
―高校のときはだいぶ悪かったんですか?
家に帰らなかったり、暴走族に入ってみたり、龍や虎の刺繍のある学ランで…。
自分が生きていく上で、学力では勝てませんから、
そういう力で駆け上がっていかなくちゃいけないんじゃないか
という誤解をしてたんですよね。
続きを読む
(日本聖契キリスト教団中原キリスト教会牧師、「ホッとスペース中原」代表)
高校のとき、成績が悪くて、目立つことをしないと認められないと思って、
不良になってしまいまして。学校で暴力事件を起こしてしまったんですよ。
そのときにたまたま、クリスチャンであったけれど教会を離れていた父が
もう一回教会へ行くようになり、私を導いてくれたんです。
―高校のときはだいぶ悪かったんですか?
家に帰らなかったり、暴走族に入ってみたり、龍や虎の刺繍のある学ランで…。
自分が生きていく上で、学力では勝てませんから、
そういう力で駆け上がっていかなくちゃいけないんじゃないか
という誤解をしてたんですよね。
続きを読む
2009年01月07日
コーヒーブレイク・インタビュー(2009年1月3、10日放送)
木下理恵子さん
(OMF宣教師、元台湾在住)
本当は私が愛されたかった
家は転勤が多くて二〜三年に一回は転校してたんです、幼稚園頃から。だから頼れるのは自分しかないって思って成長してきました。学生の時は、なぜだか「良い人」になりたくて。でも努力してやってみて分かったのは、私は良い人じゃないって。優しくなりたい、温かい心になりたいのに、なんで私の心はこんなに冷たいんだろうとか。そして人生何のために生きてるんだろうって。
そうしたら同級生がクリスチャンになったんです。彼女は顔さえも変わって。だから聞きに行ったんです。なんでクリスチャンになったの?って。私はそれまでキリスト教が嫌いだったんです。クリスチャンって偽善者だと思ってて、自分の方がましだと。でも彼女の話を聞いているうちに、もしかしたら私に欠けているのはこの神様かな、という思いがわいてきて「教会に行ってみようかな」と言ったら「教会の皆があなたのために祈ってくれるよ」。それを聞いた時、涙がドバーッと出てきたんですね。それまでは私が良い人になって、誰が愛してくれなくても私が人を愛してあげればいいって一生懸命だったけど、本当のところ、私が愛されたかった。名前も知らない私の為に祈ってくれるっていうのがすごい衝撃的で、どうしてこんなふうに人を愛せるんだろうって。
続きを読む
(OMF宣教師、元台湾在住)
本当は私が愛されたかった
家は転勤が多くて二〜三年に一回は転校してたんです、幼稚園頃から。だから頼れるのは自分しかないって思って成長してきました。学生の時は、なぜだか「良い人」になりたくて。でも努力してやってみて分かったのは、私は良い人じゃないって。優しくなりたい、温かい心になりたいのに、なんで私の心はこんなに冷たいんだろうとか。そして人生何のために生きてるんだろうって。
そうしたら同級生がクリスチャンになったんです。彼女は顔さえも変わって。だから聞きに行ったんです。なんでクリスチャンになったの?って。私はそれまでキリスト教が嫌いだったんです。クリスチャンって偽善者だと思ってて、自分の方がましだと。でも彼女の話を聞いているうちに、もしかしたら私に欠けているのはこの神様かな、という思いがわいてきて「教会に行ってみようかな」と言ったら「教会の皆があなたのために祈ってくれるよ」。それを聞いた時、涙がドバーッと出てきたんですね。それまでは私が良い人になって、誰が愛してくれなくても私が人を愛してあげればいいって一生懸命だったけど、本当のところ、私が愛されたかった。名前も知らない私の為に祈ってくれるっていうのがすごい衝撃的で、どうしてこんなふうに人を愛せるんだろうって。
続きを読む
2008年12月26日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年12月13、20日放送)
西田 正さん
(演出家、キリスト伝道劇団代表)
私の父と母には子供が生まれなかったので、父が第二夫人をもらって私が生まれたんです。でも母は私をかわいがってくれなくて。父と母と一緒に食事をした経験がないんですよ。その代わり第一夫人が私を溺愛したんです。だから実の父と母は呪ったと言うか、ひどい人たちだなと。その救いの道は映画だったんです。映画館の中で孤独な自分の気持ちが解放されましてね。
ただ私が小さい時から見てきたのは娯楽映画ですから、日大の映画学科に入ったんですけど芸術映画というものが理解出来なかったんですよ。それで劣等感をもちましてね。結局自分は孤独だったから名声欲があったんですね。日本一の映画監督になろうとか、そういう夢が粉々に崩れて自分に対する自信がなくなりましたね。良かった事は、演技コースの勉強も受けていたので、新国劇の『赤ひげ』という芝居を観て涙がぽろぽろ出て、こんなに演劇って自分を感動させるのか!って思いましてね。これは映画よりも演劇だ!と。
続きを読む
(演出家、キリスト伝道劇団代表)
私の父と母には子供が生まれなかったので、父が第二夫人をもらって私が生まれたんです。でも母は私をかわいがってくれなくて。父と母と一緒に食事をした経験がないんですよ。その代わり第一夫人が私を溺愛したんです。だから実の父と母は呪ったと言うか、ひどい人たちだなと。その救いの道は映画だったんです。映画館の中で孤独な自分の気持ちが解放されましてね。
ただ私が小さい時から見てきたのは娯楽映画ですから、日大の映画学科に入ったんですけど芸術映画というものが理解出来なかったんですよ。それで劣等感をもちましてね。結局自分は孤独だったから名声欲があったんですね。日本一の映画監督になろうとか、そういう夢が粉々に崩れて自分に対する自信がなくなりましたね。良かった事は、演技コースの勉強も受けていたので、新国劇の『赤ひげ』という芝居を観て涙がぽろぽろ出て、こんなに演劇って自分を感動させるのか!って思いましてね。これは映画よりも演劇だ!と。
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2008年12月05日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年11月22日、29日放送)
東後勝明さん
(早稲田大学教育・綜合科学学術員教授、元NHKラジオ「英会話」講師)
私自身の生き方に問題があるようだ
―NHKのラジオ「英語会話」の講師をしていらっしゃいましたよね。
1972年から85年まで13年半やらせていただきました。
スキットは全部自分で書いてました。
私がいろんなところで体験したことを物語にして
ラジオで出してたわけです。
「外国人に書いてもらえば?」というお勧めや誘惑もありましたけどね、
やっぱり自分の言葉で皆さんにお伝えしたかったというか…。
ですから大変だったです。
1日15分の放送が月〜金まで、書くのと考えるのと放送するのと。
―それがフルタイムのお仕事でいらしたんですか?
いえ、大学でも教えてました。
だからかなり厳しかったですね。
ただひたすら夢中になってやりました。
でもやはり、自分で切り開いていく人生の限界にぶつかりましたね。
1986年から88年にイギリスに留学しまして、
そのとき中学二年生だった娘が不登校になったんです。
私の、我力で一生懸命やる、やってできないことはないだろう
という頑張り人生に最初のワーニングランプがついたんですよね。
続きを読む
(早稲田大学教育・綜合科学学術員教授、元NHKラジオ「英会話」講師)
私自身の生き方に問題があるようだ
―NHKのラジオ「英語会話」の講師をしていらっしゃいましたよね。
1972年から85年まで13年半やらせていただきました。
スキットは全部自分で書いてました。
私がいろんなところで体験したことを物語にして
ラジオで出してたわけです。
「外国人に書いてもらえば?」というお勧めや誘惑もありましたけどね、
やっぱり自分の言葉で皆さんにお伝えしたかったというか…。
ですから大変だったです。
1日15分の放送が月〜金まで、書くのと考えるのと放送するのと。
―それがフルタイムのお仕事でいらしたんですか?
いえ、大学でも教えてました。
だからかなり厳しかったですね。
ただひたすら夢中になってやりました。
でもやはり、自分で切り開いていく人生の限界にぶつかりましたね。
1986年から88年にイギリスに留学しまして、
そのとき中学二年生だった娘が不登校になったんです。
私の、我力で一生懸命やる、やってできないことはないだろう
という頑張り人生に最初のワーニングランプがついたんですよね。
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2008年09月12日
コーヒーブレイク・インタビュー
高田晃一氏 北京パラリンピック日本代表選手
(2008年9月6日、13日)
目が悪くなると、いろんな宗教が勧誘してくるんですよね。
これだけ宗教がいろいろあったら、
その中には本物があるだろうと思ったんです。
宝石なんかでも、本物があるからイミテーションがあるわけで…。
ですから本物の神様を見つけるためにいろんなところへ行きました。
いろいろ行った中で一番マッチしたのが宣教師の説教で。
続きを読む
(2008年9月6日、13日)
目が悪くなると、いろんな宗教が勧誘してくるんですよね。
これだけ宗教がいろいろあったら、
その中には本物があるだろうと思ったんです。
宝石なんかでも、本物があるからイミテーションがあるわけで…。
ですから本物の神様を見つけるためにいろんなところへ行きました。
いろいろ行った中で一番マッチしたのが宣教師の説教で。
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2008年08月29日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年8月30日放送)
早川照子様(「きぼうのダイヤル埼玉」研修委員長)
電話相談と言いましても、
これは教えたり導いたりするものではなくて、
気持ちを聴くということを主にしております。
いろいろなご相談がございます。
自殺の問題、生き方の問題、孤独、性格、
職業、家族、夫婦、男女の問題、対人関係、医療、
青少年の問題、宗教、性の問題、社会の問題…。
気持ちを聴く以外にないわけです。
「こうしなさい、ああしなさい」
で解決できるものではないし…。
解決するのはご本人でしかないわけですから。
続きを読む
電話相談と言いましても、
これは教えたり導いたりするものではなくて、
気持ちを聴くということを主にしております。
いろいろなご相談がございます。
自殺の問題、生き方の問題、孤独、性格、
職業、家族、夫婦、男女の問題、対人関係、医療、
青少年の問題、宗教、性の問題、社会の問題…。
気持ちを聴く以外にないわけです。
「こうしなさい、ああしなさい」
で解決できるものではないし…。
解決するのはご本人でしかないわけですから。
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2008年08月15日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年8月16日、23日放送)
キャロル・サックさん(パストラル・ハープ奏者) インタビュアー・吉崎恵子
友達の見舞いに病院に行った時に、もちろん自分の気持ちを伝えて慰める事も大事だけれども、神様の助けがあるとなお良いと思って、お祈りに行ってました。
その時期に別の所でハープに出会い、病院にハープを持って行けたら素晴らしいと思いました。
その時に、旧約聖書に少年ダビデがサウルをハープと歌と祈りで慰めたと書いてありますが、それを思い出して。
そこから、これが私の人生の使命だと思いました。
●この音楽はあなただけのために●
今、東京の山谷にある「きぼうのいえ」というホームレスの人たちのためのホスピスで、毎週ボランティアとして患者さんのすぐ傍で奏でて歌っています。
―ホスピスと言うと、末期の患者さん…難しい心の状態の方が多いのでは?
そうですね。ほとんどの患者さんは末期です。
将来があるか、未来があるか…自分の死を考えると希望がなくなる方が少なくないです。
でも私は、音楽は生きているものだと思います。
そして将来の命へと導いてくれる力があると思います。
言葉のカウンセリングもとっても大事な事だと思います。
けれども音楽は、言葉では出来ない、心の底にも届けられると思いますから。
続きを読む
友達の見舞いに病院に行った時に、もちろん自分の気持ちを伝えて慰める事も大事だけれども、神様の助けがあるとなお良いと思って、お祈りに行ってました。
その時期に別の所でハープに出会い、病院にハープを持って行けたら素晴らしいと思いました。
その時に、旧約聖書に少年ダビデがサウルをハープと歌と祈りで慰めたと書いてありますが、それを思い出して。
そこから、これが私の人生の使命だと思いました。
●この音楽はあなただけのために●
今、東京の山谷にある「きぼうのいえ」というホームレスの人たちのためのホスピスで、毎週ボランティアとして患者さんのすぐ傍で奏でて歌っています。
―ホスピスと言うと、末期の患者さん…難しい心の状態の方が多いのでは?
そうですね。ほとんどの患者さんは末期です。
将来があるか、未来があるか…自分の死を考えると希望がなくなる方が少なくないです。
でも私は、音楽は生きているものだと思います。
そして将来の命へと導いてくれる力があると思います。
言葉のカウンセリングもとっても大事な事だと思います。
けれども音楽は、言葉では出来ない、心の底にも届けられると思いますから。
続きを読む
2008年06月12日
コーヒーブレイク・インタビュ(2008年6月14日、21日放送)
塩谷達也さん(ゴスペルシンガー) インタビュアー・吉崎恵子
●これは何かあるな●
僕は中学生のときからバンドをやってて、
ICU(国際基督教大学)に入ってからはずっとブラックミュージックをやってたんですね。
そのサークルに一人の学生が入ってきまして、
彼は牧師の息子で、「この曲やろうよ」って持ってきたのが、
黒人霊歌って言われている、名もない黒人奴隷たちが作った賛美だったんですよ。
それをやったときに、背景もわかんなかったし、内容も理解していなかったけれども、
ビーッ!っと、なんかもう稲妻みたいのが自分の中に来たのがわかったんですよ。
賛美ってすごく力があるじゃないですか。
聖書も読んだことがない、教会に行ったこともないっていう人でも、
賛美に触れられて、そこに主が働いてるっていうことをわかったりするんですよね。
僕はそんなことは何も知らなかったですけど、
でも、これは何かあるなと思いました。
続きを読む
●これは何かあるな●
僕は中学生のときからバンドをやってて、
ICU(国際基督教大学)に入ってからはずっとブラックミュージックをやってたんですね。
そのサークルに一人の学生が入ってきまして、
彼は牧師の息子で、「この曲やろうよ」って持ってきたのが、
黒人霊歌って言われている、名もない黒人奴隷たちが作った賛美だったんですよ。
それをやったときに、背景もわかんなかったし、内容も理解していなかったけれども、
ビーッ!っと、なんかもう稲妻みたいのが自分の中に来たのがわかったんですよ。
賛美ってすごく力があるじゃないですか。
聖書も読んだことがない、教会に行ったこともないっていう人でも、
賛美に触れられて、そこに主が働いてるっていうことをわかったりするんですよね。
僕はそんなことは何も知らなかったですけど、
でも、これは何かあるなと思いました。
続きを読む
2008年05月07日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年5月10日放送)
西尾照夫様
二人の子どもを授かったんですが、共に6歳で亡くしまして。
医療過誤の裁判を起こしまして、6年程かかりまして、最終的には敗訴だったんです。二審をやるように進言されたんですけど、妻が疲労困憊で、これ以上は無理だなと断念したんです。
続きを読む
二人の子どもを授かったんですが、共に6歳で亡くしまして。
医療過誤の裁判を起こしまして、6年程かかりまして、最終的には敗訴だったんです。二審をやるように進言されたんですけど、妻が疲労困憊で、これ以上は無理だなと断念したんです。
続きを読む
2008年05月02日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年5月3日放送)
多田洋子様
母が召されたのは1996年です。肺気腫という病気がずっと続いてまして…。
大好きな大好きな母だったんです。だけど、入院中、母は私を片時も離さないんです。とにかく私が付いていないと大きな声で「洋子ちゃ―ん、洋子ちゃーん」って呼ぶものですから。待合室で眠ってますと、「お母さんが呼んでおられますから来てくれませんか」って。看護婦さんも手に負えないんですよね。家に帰ってきても同じような状態だったんですね。続きを読む
母が召されたのは1996年です。肺気腫という病気がずっと続いてまして…。
大好きな大好きな母だったんです。だけど、入院中、母は私を片時も離さないんです。とにかく私が付いていないと大きな声で「洋子ちゃ―ん、洋子ちゃーん」って呼ぶものですから。待合室で眠ってますと、「お母さんが呼んでおられますから来てくれませんか」って。看護婦さんも手に負えないんですよね。家に帰ってきても同じような状態だったんですね。続きを読む
2008年02月02日
コーヒーブレイク・インタビュー(2008年1月26日、2月2日放送)
大和田広美さん
(シンガーソングライター)
仕方なくこうなった、ということじゃない
一歳九ヶ月のときに麻疹で目が見えなくなったんです。年子の姉と妹がいるんですけど、三人で麻疹にいっぺんにかかって、姉と妹は大丈夫だったんですね。
―それじゃあ、同じ麻疹になったのに「なぜ、私だけ?」っていう思いは…。
そうですね。「なんで?」っていうのが結構いつまでもあったんですけど、中学三年生でクリスチャンになったときに、自分が神様に造られたっていうことがわかって。「なんで?」って思うことがその後もいろいろあったけれども、でも、仕方なくこうなったということじゃなくて、今はわからなくても、意味があるんだっていうことがわかるようになったので…。
続きを読む
(シンガーソングライター)
仕方なくこうなった、ということじゃない
一歳九ヶ月のときに麻疹で目が見えなくなったんです。年子の姉と妹がいるんですけど、三人で麻疹にいっぺんにかかって、姉と妹は大丈夫だったんですね。
―それじゃあ、同じ麻疹になったのに「なぜ、私だけ?」っていう思いは…。
そうですね。「なんで?」っていうのが結構いつまでもあったんですけど、中学三年生でクリスチャンになったときに、自分が神様に造られたっていうことがわかって。「なんで?」って思うことがその後もいろいろあったけれども、でも、仕方なくこうなったということじゃなくて、今はわからなくても、意味があるんだっていうことがわかるようになったので…。
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2008年01月01日
コーヒーブレイク・インタビュー(2005年10月22日、29日放送)
Meguさん(Genuine Graceボーカル)
Genuine Graceを結成する前にボーカルスクールで勉強してたんですけども、それまでは化学と生物の勉強をずっとしてまして。私の中で「このまま行っていいのかな」っていう疑問が長い時期あったんですね。大学卒業する段階ではどうしていいのかまったくわからないグチャグチャな状態で、大学院に進むことにしたんです。ここまで来るのに時間もお金もかかったし、親にも世話になったし、そこで納得しようという気持ちがあったんですけど、いつも沸々と「違うんじゃないか」っていう気持ちが湧き上がって、隠しきれなくなってしまったんですよ。続きを読む
Genuine Graceを結成する前にボーカルスクールで勉強してたんですけども、それまでは化学と生物の勉強をずっとしてまして。私の中で「このまま行っていいのかな」っていう疑問が長い時期あったんですね。大学卒業する段階ではどうしていいのかまったくわからないグチャグチャな状態で、大学院に進むことにしたんです。ここまで来るのに時間もお金もかかったし、親にも世話になったし、そこで納得しようという気持ちがあったんですけど、いつも沸々と「違うんじゃないか」っていう気持ちが湧き上がって、隠しきれなくなってしまったんですよ。続きを読む

