2008年06月06日

全地よ主をほめたたえよ(2008年6月8日放送)

「主の憐れみを求めて」

日本基督教団 鎌倉雪ノ下教会
東野尚志牧師

一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(マルコ十章四六〜五二節)


主イエスは今、エリコの町を出て、いよいよエルサレムへと上っていかれようとするのです。十字架に上げられるその場所へ。

その道ばたに、一人の男が座っていました。バルティマイという名前の目の不自由な物乞いです。

おそらく主イエスのことは行く先々で話題になっていたに違いない。病人を癒し、徴税人や罪人と食事を共にし、世間から虐げられている者たちを深い憐れみをもって顧みて下さる方。不思議な奇蹟の業を行われる預言者。そのナザレのイエスが今、道を通って行こうとされる。

それを聞いた途端にバルティマイは「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、なりふり構わず、大声で叫んだのです。この救いを求める必死の叫びが、主イエスの足を止めたのです。主イエスは立ち止まって「あの男を呼んで来なさい」と言われた。

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2008年05月16日

全地よ 主をほめたたえよ(2008年5月18日放送)

「後ろのものを忘れて」

日本基督教団 藤沢北教会
藤盛勇紀師

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る事です。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」(フィリピ三章一二〜一六節)



前向きな生き方

パウロの語る信仰のスタイルというのは、明らかに一つの具体的な姿勢を示しています。それは、前へ向かうスタイルです。
前向きに生きる、ということが一つの理想的な生き方のようにも言われます。それは、明確に選んだ一方向に向かおうとする、意味の充満した生き方です。

信仰によって生きる生き方にも、明確な姿勢があります。それは「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」、そして「ひたすら走る事」です。そしてこれがなすべきただ一つの事だと言うのですから、これは信仰生活の基本形だと言っていいと思います。

でもどうして、ひたすら前へなのでしょうか。それは、目標があることによって初めて、どちらが前で、どの方向へ向けばいいのかが分かるからです。続きを読む
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